シオランを知っていますか?

済東鉄腸編訳『生まれるのも生きていくのもめんどくさい!超訳シオランの言葉』の推薦文です!
頭木弘樹 2026.07.03
誰でも

 今、どれくらいの人が「シオラン」という名前を知っているのだろうか?

 もう10年くらい前になるが、私がシオランの名言を紹介する企画を提案したときには、「シオランを知っている人はほとんどいないから」と却下されてしまった。

 たしかに当時、シオランの本はほとんど絶版状態だった。

 このままシオランは忘れられていくのだろうか……と悲しかった。

 しかし、山田太一は『冬の本』(北條一浩編 夏葉社 2012年)というアンソロジーでシオランを紹介しているし、川上未映子は長編小説『夏物語』の出版記念トークイベントで哲学者の永井均と対談し(2019年)、シオランの話をしている(KAWADEムック『文藝別冊 川上未映子』に収録)。

 その間も、法政大学出版局だけはシオランの本を出しつづけていた。『ルーマニアの変容』(2013年)、『悪しき造物主 新装版』(2017年)。

 そして、『生まれてきたことが苦しいあなたに』(大谷崇 星海社)が2019年に出版される。副題に「最強のペシミスト・シオランの思想」とある。おそらく、シオランをメインタイトルに入れることは、このときはまだできなかったのだろう。著者の「あとがき」に「本書のタイトルは、決して私の本意ではない。本を出すこと、そして売れること=読まれることと品位のバランスの問題は、本当に難しい」とあり、くやしさが伝わってくる。

 しかし、売れるためには、やはりこのタイトルがよかったのだろう。翌年の2020年には3刷1万部に到達している。中身もとてもよかったので、その評価もあると思いたい。

 その影響もあったのか、紀伊國屋書店のシオラン本の復刊が始まる。『絶望のきわみで 新装版』(2020年6月)、『涙と聖者 新装版』(2021年5月)、『生誕の災厄 新装版』(2021年6月)。法政大学出版局も復刊する。『異端者シオラン 新装版』(2020年8月)、『オマージュの試み 新装版』(2021年8月)、『四つ裂きの刑 新装版』(2023年2月)。

 入手が難しく、古書が高値を呼んでいたシオランの本が、一気に読みやすくなってきたのだ! これはうれしかった。

 この機を逃してはならずと、私もNHK「ラジオ深夜便」の「絶望名言」というコーナーでシオランの名言を紹介した。それが2024年の12月のことだ。聴いてくれる人は少ないだろうと、それは覚悟の上だった。

 ところが、びっくりするほどたくさんの人が聴いてくれた。不思議に思っていたら、SNSで教えてくれた人がいた。プロフィギュアスケーターの羽生結弦が、自身のツアー『ICE STORY 3rd “Echoes of Life”』(2024年12月〜2025年2月)の公式パンフレットに、ストーリーを考えるにあたって読んだとして、シオランの『生誕の災厄』をあげていたのだ。おかげで、シオランはすっかり有名になった。

 さらに、NHK総合でシオランをモチーフにしたテレビドラマ『どうせ死ぬなら、パリで死のう。』(作/伊吹 一 主演/岡山天音)が2025年2月に放送された。

 まるでタイミングを合わせたかのようだが、もちろんそうではない。まったくの偶然だ。よくまあ、こう時期がそろったもので、それだけ時代がシオランを求めはじめたということだ。

 約3万円(29700円)もするシオランの『カイエ』(法政大学出版局)という分厚い本まで、2025年3月に重版され、3刷に到達した。2025年4月には、ついにシオランの初めての文庫本、『崩壊概論』(ちくま学芸文庫)も出た。シオランが文庫で読める時代になったのだ。

 シオランが求められる時代が来たことは、いいことなのかどうかはわからない。なにしろ、シオランはあらゆることに絶望している人だ。22歳のときに初めて書いた本のタイトルからして『絶望のきわみで』だ。この若さでもう絶望のきわみに立ってしまっている。

 しかし、絶望の時代になってしまったからには、シオランの本がないよりは、あるほうがずっといい。自分たちの絶望を言葉にしてくれる人がいなければ、もっと苦しくなってしまう。シオランの辛辣な、あまりにも辛辣な言葉の数々は、むしろ心の救いとなってくれる。

 そして、ついにシオランの名言集の登場だ! 編訳者は済東鉄腸。これほどシオランの名言集の編訳者としてふさわしい人はいないだろう。彼は『千葉からほとんど出ない引きこもりの俺が、一度も海外に行ったことがないままルーマニア語の小説家になった話』(左右社)という自伝的エッセイを書いているが、この長いタイトルにあるとおり、日本でひきこもりつつ、ルーマニア語で小説を書いて、それがルーマニアの文芸誌に掲載され、「日本人初のルーマニア語の小説家」となった人だ。そして、シオランはルーマニアの思想家なのだ。

 また、済東鉄腸は絶望を知る人でもある。ひきこもりを経験しているし、うつ病も経験しているし、クローン病という難病にもなっている。クローン病というのは、腸に炎症の起きる病気で、「炎症性腸疾患」のひとつだ。私も潰瘍性大腸炎という「炎症性腸疾患」の患者なので、済東鉄腸がいかに絶望を経験しているか、ある程度わかる。彼なら、シオランの言葉を、たんに頭で理解しているだけでなく、身にしみて感じていることだろう。

 じつは、私も別の出版社からシオランの名言集を出そうとしていた。だから、この本の刊行を聞いて、びっくりした。普通なら、先を越されてがっかりするところだが、なにしろ刊行の難しかったシオラン本である。他にも出そうとしていた人がいたなんて、心強いことだ。しかも、編訳者が済東鉄腸と聞いてうれしかった。読者として読みたいと思った。

 そして、今まさに、読み終えたところなのだが、想像以上に面白い! 初めてのシオランの名言集の著者が済東鉄腸で本当によかったと思う。私にとって大切な一冊となった。みなさんにとっても、きっとそうだと思う。

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